はじめに
日本の電気事業は長らく地域独占型の9電力体制で運営されてきました。この体制は、地域ごとの独占と垂直一貫型の経営、政府による料金規制が特徴でした。しかし、競争の促進と市場原理の導入を目指し、段階的な自由化政策が実施され、最終的には2016年に小売全面自由化が実現しました。本記事では、電力自由化の流れとその影響について詳しく解説します。
9電力体制の形成と特徴
歴史的背景
日本の電力事業は1887年(明治20年)、東京電燈の開業によって始まりました。その後、各地に電力会社が設立されるものの、次第に統合が進み、戦時中の1939年には国策会社・日本発送電に統合されました。
戦後、日本発送電は解体され、1951年に新たな9電力体制が発足しました。これは、地域ごとに電力会社を設けることで独占的に事業を行う仕組みでした。
また、1972年の沖縄返還に伴い、琉球電力公社が沖縄電力となり、10電力体制となりました。
垂直一貫体制の特徴
9電力体制では、電気事業が発電、送配電、小売の3つの工程で構成され、それらを一貫して提供する垂直一貫型の運営が行われました。
この体制は戦後復興から高度経済成長期において効率的に機能しましたが、競争相手の不在による料金の高止まりなどの課題も顕在化しました。
小売部分自由化の開始
段階的自由化の導入
1990年代後半、電気料金の高さへの批判から規制緩和の動きが加速し、2000年に電力小売自由化が段階的に始まりました。
2000年:契約電力2000kW以上の特別高圧需要家を対象に自由化。2004年:契約電力500kW以上まで拡大。
2005年:契約電力50kW以上の高圧市場まで拡大。
これにより、PPS(特定規模電気事業者)、現在の新電力が登場しました。しかし、自由化市場でのシェアは限定的で、大手電力の地域独占構造は変わらず、新電力のシェアは約3%にとどまりました。
自由化が進まなかった背景
競争促進が進まなかった要因として以下が挙げられます。
原油価格の高騰によるコスト増加
2000年代初頭には1バレル20ドル台で推移していた原油価格が、2007年以降100ドル近くまで上昇しました。火力発電を主力とする新電力はコスト負担が増え、大手電力に対抗するのが難しくなりました。
環境規制の強化
2005年に発効した京都議定書によって、温室効果ガスの排出削減が義務付けられました。火力発電に依存する新電力は厳しい規制に直面した一方で、大手電力は原発や水力発電といった低炭素電源を保有していたため、有利な立場を維持しました。
大手電力への支援政策
政府は電力供給の安定性を重視し、大手電力の経営体力を維持するための料金規制を行いました。価格競争が制限されることで新電力は市場参入が困難になりました。
小売全面自由化と制度改革
2016年4月、小売全面自由化が実施され、一般家庭を含むすべての需要家が電力会社を選べるようになりました。この自由化により、大手電力と新電力は「小売電気事業者」に一本化され、制度上の区分は消失しました。
また、大手電力は事業ごとにライセンスを持つ形に移行しました。
- 発電事業者
- 一般送配電事業者
- 小売電気事業者
これにより、かつての垂直一貫体制は解体され、自由競争の環境が整えられました。
小売電気事業者の多様化
参入事業者の増加
全面自由化によって約8兆円規模の市場が開放され、700社以上の事業者が登録されました。特に以下の業種からの参入が目立ちます。
- 都市ガス会社(東京ガス、大阪ガス)
- 石油会社(ENEOS、出光興産)
- 情報通信(KDDI)
- 鉄道会社(東急)
一方で、販売電力量が少ない事業者や事業撤退するケースも増えています。
バランシンググループ(BG)制度
複数事業者が共同で需給調整を行うBG制度も導入されました。これにより、小規模事業者でもインバランスリスクを抑えることが可能となりました。
BG制度は、需要と供給のバランスを共同で管理する仕組みです。参加する事業者は、インバランス(供給と需要のずれ)を合算して調整します。これにより、個別の事業者では難しい精密な需給調整を実現し、コスト削減や安定供給を可能にします。代表契約者が需給計画をまとめ、他の参加事業者をサポートする役割を担います。
まとめ
電力自由化は段階的に進められ、最終的に2016年に全面自由化が実現しました。これにより、かつての地域独占型9電力体制は終焉し、競争原理が導入されました。
しかし、新電力のシェア拡大には課題も多く、エネルギー供給の安定性と市場競争のバランスを取るための継続的な制度改革が求められています。電力市場の今後の動向に注目が集まります。